
南米で発見された謎の類人猿モノスをまとめてみました。モノ・グランデ、ド・ロワの類人猿、ロイスの猿とも呼ばれている有名なUMAです。日本語wikiも充実していますが、ここは世界標準の英文wikiを翻訳してみました。
-----------以下翻訳
スイスの石油地質学者、フランソワ・デ・ロワ(ロワはフランス語読み、英語読みではルイス)は1917年から1920年にかけて主にマラカイボ湖の近くのコロンビアとベネズエラ付近の石油探査のための遠征を行いました。
その遠征は失敗で、病気と原住民との小競り合いで非常に苦しみました。ロワの遠征隊は20人いましたが生き残ったのはわずか4人だけでした。
ロワの報告書によると、1920年にタルラ川の近くでキャンプを行いましたが、その時2体の大きな生き物が遠征隊に近寄ってきました。
最初、ロワはそれらの生き物は熊だと思いました。しかし、灌木や枝を掴んでいることから、猿の様であったと述べています。
その生き物は何だったのでしょうか?
一体はオス、もう一体はメスのようでした。その生き物は怒ったように見え、うなり声や身振りで遠征隊を威嚇し、排便をして糞を投げつけてきました。
遠征隊は身を守るためにメスの生き物を射殺しましたが、オスの方は逃亡しました。
ロワと仲間たちは異常な何かに遭遇したことを認識しました。その生物はクモザルに似ていましたが、体長が1m57cmもありました。一般的なクモザルは最大でも体長は1mほどです。
その生物は32本の歯を持ち、尻尾を持っていないとロワは報告しています。アメリカ大陸に生息するサルは一般的に36本の歯を持っています。
遠征隊はその生物を木枠に据え付け、あごの下を棒で支えて写真を撮影しました。写真撮影のあと、その生物を解体し、毛皮と頭蓋骨を標本として採取しました。

※モノスの写真フルカット。大きい画像もあります。
しかし、病気と原住民との争いで苦しめられた探検の中で、その標本は両方とも放棄されました。他の報告書によれば多くの写真を撮影したものの、川の増水やボートの転覆により失われてしまったということです。
ロワはヨーロッパに戻った後、1929年までは類人猿の話をしませんでした。その年、彼の友人の人類学者 ジョージ・モンタンドンはロワの報告書を読みこの写真を発見し、それは非常に重要であると考えました。ロワは1929年6月15日のイラストレーテッドロンドンニューズに彼の発見を発表しました。
モンタンドンは「新種のアメリカ類人猿」と題してロワの名前を取り、Ameranthropoides loysi(アメラントロポイデス・ロワシ[ロイシ、ルイス])の学名を与えてこの類人猿を発表しました。
-----------翻訳ここまで
モノスは1954年にも目撃されています。エル・モノ・グランデ渓谷で狩猟をしていたイギリス人ハンター、エメリノ・マルチネスが2頭のモノスに襲われたましが、付近にあった岩を振り回して難を逃れています。この日は渓谷に入った時から不気味なうなり声が渓谷に響いていたそうです。
(※この事件の英文ソースが見つかりません。モノ・グランデはスペイン語の "Mono Grande"、英語では "Large Monkey"です。日本語サイトにはこの情報が多数ありますが、英文の記事は見つかりませんでした。)
産油国として知られるベネズエラの中でも、マラカイボ盆地は石油資源が豊富にあるとされています。タルラ川 "Tarra River" はマラカイボ湖に流れ込むカタトゥンボ川 "Catatumbo River"の支流です。
余談ですが、このマラカイボ湖では音のない雷、マラカイボの灯台 "Catatumbo lightning" と呼ばれる自然現象が有名です。

※マラカイボの灯台 "カタトゥンボ川の雷" と呼ばれる雷。
この怪物は発表直後から、新種の類人猿発見か、と世界中で話題になりましたが新種として認定されていません。
正体としては以下の仮説が挙げられています。
1.クモザル(ケナガクモザル)説
2.突然変異の猿説
3.新種の類人猿説
クモザル説が有力ですが、反証も提出されており、現在でも論争が続いています。
謎の類人猿UMA、モノス。
正体が明らかになる日は来るのでしょうか。
【関連リンク】
モノス - Wikipedia 日本語wiki。充実した内容です。
Ameranthropoides loysi - Wikipedia 英語版wiki。日本語とリンクしていません。
Mono Grande - Wikipedia 英語版モノ・グランデのwiki。
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