2014年11月03日

茶碗の中の宇宙 4個目の曜変天目茶碗!?

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※中国浙江省杭州市で発見された曜変天目茶碗(写真1)

内側に宇宙を思わせる瑠璃色の文様が浮かぶ至高の茶器、曜変天目茶碗。世界に三つしか存在しないと言われる貴重な茶碗は全て日本にあります。この茶碗の美しさに魅せられて以前に「国宝 曜変天目 茶碗の中の宇宙」の記事を書きました。

ところが最近もう一つの曜変天目茶碗があることを知りました。あとでこの4つ目の曜変天目茶碗の解説をいたします。

中国の南宋時代に焼かれた3つの曜変天目茶碗は全て国宝に指定されています。ここで簡単に3つの曜変天目茶碗のおさらいをしておきましょう。
静嘉堂文庫蔵




★「原色日本の美術」解説
曜変は『君台観左右帳記』に記すように、東山時代にはもっとも貴重な、最も高価な茶碗とされていた。その頃「日本に十ばかりある」といわれたが、もと足利家に伝わったものは、織田信長が所持していたとき焼失してしまったので、稲葉家のこの天目が随一のものとなったという。現存する曜変天目のうちでも抜群の秀作であり曜変の代表とされている。

曜変は耀変、容変、曜卞などとも書かれるが、もともと窯変、すなわち窯の中で生じた偶然の変化を、やや詩的に表現したものである。南北朝初期の『仏日庵公物目録』にすでに窯変の名があらわれているし、室町初期の往来物にも窯変の名はしばしばあらわれており、窯変の賞玩は早くから行われていたらしい。したがって、その中国からの舶来は、鎌倉時代から室町初期の頃と考えてよいだろう。

この茶碗はもと徳川将軍家にあったものを、稲葉美濃守が拝領し、代々秘蔵してきたもので、稲葉天目の名はこれによっておこったのである。一般の建盞よりずっと丁寧で、とくに高台のつくりにはそれがよく示されている。内面は漆黒の釉面に油滴風のまるい小さい斑文がいちめんにあらわれており、その周囲が藍色から黄色までさまざまに輝き、またその間隙に光彩と呼ばれる縞状の光芒が不規則にあらわれている。口縁の釉薬は流れて薄くなり、素地を透かして紫褐色を呈し、腰の釉切れの部分には釉が厚く溜まっている。外面はほぼ無文だが、青白くかすんだような部分が何か所かある。すべて玄妙な窯変現象であり、再現不可能な偶然の所産である。陶芸のひとつの極限を示すものといってよいだろう。また、舶載の多くの建盞の中からこのような美しさを発見し、大切に伝えてきたということは、考えなければならない何かを暗示しているもののように思える。

南宋時代に福建省の窯で焼かれたもの。大正七年(1918)稲葉家から出て、小野哲郎氏をへて岩崎小弥太氏の所有となり、静嘉堂文庫に収められた。

補足
徳川将軍家(柳営御物)→淀藩稲葉家→小野哲郎氏(三井)→岩崎家(三菱)
大正7年3月に売り出された「曜変天目茶碗」を、小野哲郎氏が16万8千円で入手。その後、昭和9年に約9万円位の値で岩崎小弥太氏の手に渡りました。

曜変天目(ようへんてんもく)と呼ばれる現存する茶碗の中でも最も美しい、静嘉堂文庫が所蔵する稲葉天目という茶碗です。

全ての茶器、茶道具の中でも恐らく最高値の逸品です。大正7年に売買された時の価格は16万8千円。当時の1円を現代の1万円で換算すると16億8千万円です。考察の詳細は前記事をご覧ください。Yahoo知恵袋にも引用されています。

大きさ (カッコ内は「原色日本の美術」のサイズ)
高さ:6.8cm (7.0cm)
口径:12.0cm (12.2cm)
高台径:3.8cm (4.0cm)

藤田美術館蔵
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★「原色日本の美術」解説
もと水戸徳川家に伝わった曜変天目で、大正七年(1918)藤田平太郎氏に移り、藤田美術館に収められた。徳川家康が所持していたものらしく、その以前の伝来はわからない。

よく整った、丁寧なつくりの建盞形茶碗で、つややかな漆黒の釉薬が厚くかかり、内面には、大小の不規則な形のまるい斑文が散在し、その周囲が虹色に輝き、縞状の光彩がその間にあらわれている。外側にも青白い小斑文が点々と輝いている。稲葉天目ほど華麗ではないが、曜変のあらわれ方は鮮明で、龍光院の曜変と肩をならべる名品である。

大きさ (カッコ内は「原色日本の美術」のサイズ)
高さ:6.8cm (6.8cm) 
口径:12.3cm (12.3cm)
高台径:3.8cm (3.6cm)

稲葉天目に優るとも劣らないほどの美しい名品です。下の画像が蛍光灯の照明で撮影されたものです。光により表情が変わるところも素晴らしい。藤田美術館の曜変天目茶碗は大正時代にに53,800円で購入したとされています。前述で検証したとおり1円を1万円で換算すると約5億3千800万円になります。

大徳寺龍光院蔵(※一般公開なし)




★「原色日本の美術」解説
京都大徳寺の龍光院に、開祖宗玩のときから伝わっている名椀である。江月和尚は茶人津田宗及の子で、この茶碗はもと宗及が所持したものであったが、同じ大徳寺の塔頭(たっちゅう)である大通庵に寄進されていたのを、龍光院開創にあたってこれを移したものといわれている。桃山時代の伝来は明らかではないが、やはり鎌倉、室町の頃舶来され、東山時代に珍重されるようになったものであろう。作調は正しい建盞形、曜変現象は稲葉天目ととはちがった独特の静かな趣がある。内面全体にわたって油滴風の小斑文があらわれ、それがさまざまの色合いに淡く美しい輝きをみせている。外面は無文。稲葉天目についで名高い曜変である。

大きさ (カッコ内は「原色日本の美術」のサイズ)
高さ:6.6cm (6.4cm) 
口径:12.1cm (12.2cm)
高台径:3.8cm (3.4cm)

大徳寺龍光院所蔵の曜変天目茶碗は非公開の上、渋い幽玄な美しさを持つ茶碗です。一般の人が目にする機会は中々ありません。

   

これらの曜変天目茶碗は南宋(12~13世紀)の時代、中国福建省建陽市にあった建窯で作られましたが、中国には曜変天目は残っていません。これは中国の文化的な影響が大きく、曜変天目は珍重されなかったためでは無いかと思われていました。

しかし、2009年末に中国浙江省の省都である、杭州市内の工事現場から曜変天目の陶片が発見されました。出土した陶片は全体の3分の2ほどが残っており、美しい曜変の輝きが見て取れます。この曜変天目は現在、古越会館が所蔵しています。杭州市は南宋の都が置かれ、出土場所はかつての宮廷の迎賓館のような所で、宮廷用に献上されたことをうかがわせる言葉が刻まれた陶磁器も一緒に発見されています。この記事TOPの画像もここで発見された曜変天目です。
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※中国浙江省杭州市で発見された曜変天目茶碗(写真2)

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※中国浙江省杭州市で発見された曜変天目茶碗(写真3)

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※中国浙江省杭州市で発見された曜変天目茶碗(写真4)

稲葉天目、藤田美術館の曜変天目に比肩しうる美しさです。工事現場に重機が入って作業をしたということで割れた状態で破片が発見されました。本当に惜しいことをしたものです。割れていなければ史上4つ目の曜変天目茶碗であったのです。

しかし、この破片の発見により曜変天目は中国の宮廷においても珍重されていたことがわかりました。曜変天目の謎を解く大きな発見となりました。

ここに中国浙江省杭州市で発見された曜変天目茶碗の高画質画像が30枚あります。高台、椀の裏側まで良く見えます。
高清欣赏,建窑耀变建盏,南宋京都(杭州)出土!

「原色日本の美術」の解説によれば、戦国時代の日本には10程度の曜変天目茶碗があったそうです。

そのうちのひとつが、足利義政所蔵の茶碗が織田信長へ譲られたものです。当時の最高権力者に所有された天下第一の名椀です。信長はこれを愛用し他の茶道具とともに持ち歩いていました。これは残念ながら、明智光秀が起こした本能寺の変で他の多くの名物と共に焼失してしまったとされています。

義政の宝物台帳と言われる「君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)」の「土之物」には次のように書かれています。曜変天目茶碗の解説には必ず引用される有名な記述です。
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「曜変、建盞の内の無上也。世上になき物也。地いかにもくろく、こきるり、うすきるりのほしひたとあり。又、き色・白色・こくうすきるりなとの色々ましりて、にしきのやうなるくすりもあり。萬疋の物也。」

かなを漢字に直すと次のようになります。

「曜変、建盞の内の無上也。世上になき物也。地 如何にも黒く、濃き瑠璃、薄き瑠璃の星ひたと有り。また、黄色・白色・濃く薄き瑠璃などの色々混じりて、錦のやうなる釉薬も有り。萬疋の物也。」

現代文に訳すと次のような意味になるでしょうか。

「曜変天目は建窯で作られた天目茶碗の中の極上品である。世間にはない本当に珍しいものである。地色は大変黒く、濃い瑠璃色や淡い瑠璃色の星型の斑点が一面にある。また、黄色や白色、濃い瑠璃色や薄い瑠璃色など、様々な色彩が混ざって、絹のように華やかな釉色もある。反物一万匹にも値する。」

※建盞(ケンサン):中国福建省にあった建窯で、宋・元代に作られた天目茶碗。曜変天目・油滴天目などが有名。また、天目茶碗の総称。

室町時代に貨幣の代わりとして使われていた、反物一万匹がどれほどの価値か想像できませんが、極めて高価な品であったことは間違いありません。

当時の貴族が、曜変天目をどのように評価していたか、またどんなに大切していたかが良く判る一文です。漆黒の地色に散らばる瑠璃色の星、絹のように煌めく釉薬の美。曜変天目茶碗の美しさにどれほど魅了されたのでしょう。
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「君台観左右帳記」の写本、「土の物」の最初の部分。曜変天目について描かれています。「曜変、建盞の内の無上也。世上になき物也。地いかにもくろく、こきるり、うすきるりのほしひたとあり。又、き色・白色・こくうすきるりなとの色々ましりて、にしきのやうなるくすりもあり。萬疋の物也。」と書かれています。

本能寺の変で失われてしまったとされる、この曜変天目茶碗は稲葉天目以上の名碗であったと言われています。もし、日本のどこかに残っていれば、これも4つ目の曜変天目となったでしょう。

さて、実在する割れていない4つ目の曜変天目茶碗です。現在は滋賀県甲賀市信楽町にあるMIHO MUSEUMに所蔵されています。
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※前田家伝来、大佛次郎が所蔵していた曜変天目茶碗。 出典:文化遺産オンライン

前田利常以来、前田家に伝来し、前田家の道具帳にも詳しい様子が記載されている逸品です。箱蓋表の銀粉字形「曜変」の文字は小堀遠州の筆と言われ、青貝の天目台と二重蔓牡丹唐草金襴の袋が添っています。『大正名器鑑』所載。博物館に所蔵される前は作家の大佛次郎が所蔵していました。

全体としては油滴で、内側にわずかに曜変が出ているようにも見えるため、油滴天目であり、曜変天目ではないという意見もあり、この天目茶碗を「曜変」と呼ぶかどうかは議論があります。またこの茶碗は国宝には指定されておらず、重要文化財となっています。

★文化遺産オンライン解説
耀変天目として著名なものと言えば、静嘉堂文庫美術館蔵、藤田美術館蔵、大徳寺龍光院蔵の三点であるが、長く紹介されなかったために一般にほとんど知られていない耀変天目がこの作品である。耀変天目については『君台観左右帳記』の「土之物」に「建盞の内の無上なり」とあるように、福建省の建窯で大量に焼かれた建盞の一種であるが、偶然窯中で油滴や建盞とは異なる美しい結晶が生じたものである。

この作品の場合も耀変独特の輝きをもつ斑文が見込みを中心に現れている。ことに先にあげた三碗の場合は結晶体が数点寄った状態であるが、この天目は斑文がそれぞれ独立した状態で発色している。器形は他の耀変天目や建盞と共通するもので、高台も端正に削られ、建盞独特の極めて細かい胎土が見られる。

前田利常以来、前田家に伝来し、前田家の道具帳にも詳しい様子が記載されている。箱蓋表の銀粉字形「曜変」の文字は小堀遠州の筆と言われ、青貝の天目台と二重蔓牡丹唐草金襴の袋が添っている。『大正名器鑑』所蔵。

高さ:6.5-6.6cm
口径:11.8-12.1cm
高台径:3.9cm

割れてはいませんが、曜変天目というには微妙です。杭州で出土した割れた曜変天目には遠く及びません。本物の4つ目の(割れていない)曜変天目茶碗が我々の前に姿を現すことはあるのでしょうか。

★あとがき
久しぶりに曜変天目茶碗を調べたら、色々と面白い発見がありました。以前に記事を書いた時には、前田家伝来の茶碗にまったく気づきませんでした??? それが不思議です。

また、曜変天目茶碗の解説に必ず引用される「君台観左右帳記(くんだいかんそうちょうき)」の「土之物」についても全文の記述、写本の画像、現代語訳が見つかりませんでしたのでこれもまとめました。「曜変。建盞の内の無上也。天下におほからぬ物なり。萬匹のものにてそろ」 の部分だけが引用の引用でたくさんありました。現代語訳もWikiその他を参考しにて、頑張って作文しました。写本も活字が付いていると読めるのが面白い。

結構良い記事になったと思います。

【関連リンク】
曜変天目茶碗 - Wikipedia まずはここから。
静嘉堂文庫美術館 稲葉天目所蔵館。解説はこちら
藤田美術館 もうひとつの所蔵館。解説はこちら

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posted by 桜 真太郎 at 23:45 | Comment(1) | 伝説・ミステリー
この記事へのコメント
この記事をリンクさせていただきました。
非常に美しい写真をみせていただき、ありがとうございました。
Posted by 山科 at 2016年12月26日 09:13
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