2011年09月03日

国宝 曜変天目 茶碗の中の宇宙


宇宙を思わせる文様の美しい茶碗です。

曜変天目(ようへんてんもく)と呼ばれる茶碗の中でも最も美しい、静嘉堂文庫が所蔵する稲葉天目という茶碗です。

全ての茶器、茶道具の中でも恐らく最高値の逸品です。大正7年に売買された時の価格は16万8千円。当時の1円を現代の1万円で換算すると16億8千万円です。

大正7年の労働者家庭の生活費は1か月28円、大学年間学費55円、小学校教員初任給12-20円、日雇い労働者の賃金1日1円99銭。

2011年、勤労者世帯の1か月平均の生活費は30万9千円(総務省統計局)、国立大学年間授業料(標準額)53万5千800円(文部省令)。

大正7年(1918年)の1円を、2011年(平成23年)の1万円と換算して大きな違和感はありません。

ただし、大正時代はかなりのインフレで1年違うと物価は相当異なります。このサイトが参考になります。

現代でオークションにかけたら、50億円、あるいは100億円は下らないでしょうか。オークションは競り合う相手がいて値段が上がりますが、中国南宋時代の世界に3点しかない茶碗がオークションに出れば、中国人の富豪が金に糸目をつけないで落札にかかると思われます。

曜変天目茶碗の現存するものは世界に3点と言われ、全て日本にあります。また、3点すべてが国宝に指定されています。

曜変というのは、漆黒の釉面に結晶によるさまざまの斑紋が群をなして現れ、その周りが瑠璃色の美しい光りを放っているものをいいます。曜変は「窯変(ようへん)」から来ています。窯の中で偶然の変化(窯変)が起こり、釉薬の上に美しい自然の文様が現れることがあり、これを曜変と呼びました。

「お宝何でも鑑定団」で中島誠之助さんが釉薬(ゆうやく)の変化や、灰が落ちて溶けた「自然釉(しぜんゆう)」の話をされることがありますが、そのような釉面の変化の中で最も高度な変化を起こしたものが曜変天目なのでしょう。

この茶碗は南宋(12~13世紀)の時代、中国福建省建陽市にあった建窯で作られました。作者は不明ですが、形状、大きさがいずれも良く似ていることから、同一人物の作だという説もあります。この窯後は発掘されており、天目茶碗の破片が多数発見されています。
   

曜変天目が世界に3点だけしか存在しない理由は謎です。南宋のある時期、建窯で数えるほどわずかな曜変天目茶碗が焼かれ、それから二度と焼かれることは無く、なぜ日本にだけ存在し中国には残っていないのかはわかっていません。

曜変天目が貴重なのは、その後800年以上、この文様を再現できなかったことも理由の一つです。現代の技術でも再現ができず、似た作品が作られるようになったのは21世紀になった2002年頃のことです。

これは当時ニュースになりました。陶芸家の、林恭助が国宝3点にかなり近い天目を発表し高い評価を得ました。成功の鍵は陶土を直接建陽市から輸入し、作陶に使用したことにあるそうです。

このほかにも京都の陶芸家、桶谷寧が再現した曜変天目があります。この方の普通の作品が20~40万円で、天目茶碗は要問合せになっていますので、最低でも100万円以上はするものと思われます。

これは日本のことなのでwikiも詳しくできています。

以下、日本に現存する3点の概要を記載します。

★2012年10月30日 文献情報追加 原色日本の美術 第29巻 請来美術(陶芸) 1972年 小学館

静嘉堂文庫蔵(TOPの画像も)

★Wikipedia解説
稲葉天目の通称で知られ、曜変天目茶碗の中でも最高の物とされる。元は徳川将軍家の所蔵で、徳川家光が春日局に下賜したことから、その子孫である淀藩主稲葉家に伝わった。そのため、「稲葉天目」と呼ばれるようになった。その後、三菱財閥総帥の岩崎小弥太が入手したが、岩崎は「天下の名器を私如きが使うべきでない」として、生涯使うことはなかったという。現在は静嘉堂文庫所蔵。 国宝。 なお、近年オープンした東京丸の内の三菱一号館内「三菱センター デジタルギャラリー」ではデジタルコンテンツとして常時閲覧することができる。

補足
徳川将軍家(柳営御物)→淀藩稲葉家→小野哲郎氏(三井)→岩崎家(三菱)
大正7年3月に売り出された「曜変天目茶碗」を、小野哲郎氏が16万8千円で入手。その後、昭和9年に約9万円位の値で岩崎小弥太氏の手に渡りました。

★「原色日本の美術」解説
曜変は『君台観左右帳記』に記すように、東山時代にはもっとも貴重な、最も高価な茶碗とされていた。その頃「日本に十ばかりある」といわれたが、もと足利家に伝わったものは、織田信長が所持していたとき焼失してしまったので、稲葉家のこの天目が随一のものとなったという。現存する曜変天目のうちでも抜群の秀作であり曜変の代表とされている。

曜変は耀変、容変、曜卞などとも書かれるが、もともと窯変、すなわち窯の中で生じた偶然の変化を、やや詩的に表現したものである。南北朝初期の『仏日庵公物目録』にすでに窯変の名があらわれているし、室町初期の往来物にも窯変の名はしばしばあらわれており、窯変の賞玩は早くから行われていたらしい。したがって、その中国からの舶来は、鎌倉時代から室町初期の頃と考えてよいだろう。

この茶碗はもと徳川将軍家にあったものを、稲葉美濃守が拝領し、代々秘蔵してきたもので、稲葉天目の名はこれによっておこったのである。一般の建盞よりずっと丁寧で、とくに高台のつくりにはそれがよく示されている。内面は漆黒の釉面に油滴風のまるい小さい斑文がいちめんにあらわれており、その周囲が藍色から黄色までさまざまに輝き、またその間隙に光彩と呼ばれる縞状の光芒が不規則にあらわれている。口縁の釉薬は流れて薄くなり、素地を透かして紫褐色を呈し、腰の釉切れの部分には釉が厚く溜まっている。外面はほぼ無文だが、青白くかすんだような部分が何か所かある。すべて玄妙な窯変現象であり、再現不可能な偶然の所産である。陶芸のひとつの極限を示すものといってよいだろう。また、舶載の多くの建盞の中からこのような美しさを発見し、大切に伝えてきたということは、考えなければならない何かを暗示しているもののように思える。

南宋時代に福建省の窯で焼かれたもの。大正七年(1918)稲葉家から出て、小野哲郎氏をへて岩崎小弥太氏の所有となり、静嘉堂文庫に収められた。

大きさ (カッコ内は「原色日本の美術」のサイズ)
高さ:6.8cm (7.0cm)
口径:12.0cm (12.2cm)
高台径:3.8cm (4.0cm)

藤田美術館蔵





★Wikipedia解説
水戸徳川家に伝えられたもので、曜変の斑紋が外側にも現れている。1918年に藤田財閥の藤田平太郎が入手し、現在は藤田美術館所蔵。国宝。

★「原色日本の美術」解説
もと水戸徳川家に伝わった曜変天目で、大正七年(1918)藤田平太郎氏に移り、藤田美術館に収められた。徳川家康が所持していたものらしく、その以前の伝来はわからない。

よく整った、丁寧なつくりの建盞形茶碗で、つややかな漆黒の釉薬が厚くかかり、内面には、大小の不規則な形のまるい斑文が散在し、その周囲が虹色に輝き、縞状の光彩がその間にあらわれている。外側にも青白い小斑文が点々と輝いている。稲葉天目ほど華麗ではないが、曜変のあらわれ方は鮮明で、龍光院の曜変と肩をならべる名品である。

大きさ (カッコ内は「原色日本の美術」のサイズ)
高さ:6.8cm (6.8cm) 
口径:12.3cm (12.3cm)
高台径:3.8cm (3.6cm)

大徳寺龍光院蔵(※一般公開なし)





★Wikipedia解説
堺の豪商津田宗及から大徳寺塔頭の龍光院に伝わったもの。国宝。国宝とされる三椀の曜変天目茶碗のうち、最も地味なものであるが、幽玄な美しさを持つとされて評価が高い。通常非公開であり、鑑賞できる機会は稀である。

★「原色日本の美術」解説
京都大徳寺の龍光院に、開祖宗玩のときから伝わっている名椀である。江月和尚は茶人津田宗及の子で、この茶碗はもと宗及が所持したものであったが、同じ大徳寺の塔頭(たっちゅう)である大通庵に寄進されていたのを、龍光院開創にあたってこれを移したものといわれている。桃山時代の伝来は明らかではないが、やはり鎌倉、室町の頃舶来され、東山時代に珍重されるようになったものであろう。作調は正しい建盞形、曜変現象は稲葉天目ととはちがった独特の静かな趣がある。内面全体にわたって油滴風の小斑文があらわれ、それがさまざまの色合いに淡く美しい輝きをみせている。外面は無文。稲葉天目についで名高い曜変である。

大きさ (カッコ内は「原色日本の美術」のサイズ)
高さ:6.6cm (6.4cm) 
口径:12.1cm (12.2cm)
高台径:3.8cm (3.4cm)

このほかに実は日本にはもうひとつ、4つ目の曜変天目茶碗がありました。 足利義政所蔵の茶碗が織田信長へ譲られたものです。当時の最高権力者に所有された天下第一の名椀だったので、稲葉天目以上の逸品だったのではないでしょうか。信長はこれを愛用し他の茶道具とともに持ち歩いていました。これは残念ながら、明智光秀が起こした本能寺の変で他の多くの名物と共に焼失してしまったとされています。

しかし、ミステリーファンの視点から言えば2つの可能性が考えられます。明智光秀が天海僧正の正体だとする根強い説があります。天界僧正は徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関わった「黒衣の宰相」です。風水の観点から、江戸に霊的な防備を施したのも天海僧正であるとされています。

だとすれば、現在伝わっている稲葉天目が信長蔵のもので、本能寺の変の時に明智光秀が手に入れたものが徳川家に伝わったという説、あるいは稲葉天目以上と言われる信長所蔵のもう一つの椀を天海(光秀)が手に入れて、人知れず日光東照宮に秘蔵されているという説も考えられます。

「原色日本の美術」の解説によれば、戦国時代の日本には10程度の曜変天目茶碗があったそうです。また、現存する3椀のうち2つが徳川家由来です。これは、光秀=天海説を裏付ける傍証になるのではないでしょうか。

曜変天目は本当に美しく、多くの人を引き付けてきました。幸いなことに最も美しい、静嘉堂文庫蔵の稲葉天目は定期的に公開されていますので興味があれば美術館に足を運んでみてはいかがでしょうか。

追記
大藪春彦さんの小説で主人公、伊達邦彦が曜変天目茶碗を手に入れる話、「野獣は甦える」を読んでからこの茶碗がずっと気になっていました。ガン(銃)とカー(自動車)にしか興味がない、大藪さんの分身が欲しがる陶器とは一体何だろう、と思いました。ネット時代になって画像を見たらその美しさに驚き、世界に3点しか現存しておらず、それが全て国宝で、作陶の再現もできていない(当時)ことにも驚きました。

今回、お宝鑑定団ファンとして、価格を入れた記事を書いてみました。余談ですが、今までに鑑定団で出てきた茶道具で一番高価なものは千利休の茶杓で評価額2,500万円でした。

※1996年12月17日の「開運!なんでも鑑定団」で放送された、千利休の茶杓。鑑定士の評価額は2,500万円。当時の公式サイトの文章は次のとおり。『スタジオ騒然。新発見。利休の本物。箱に書いてある弟子の書が決め手。「真と為す(本物)」と書いてある。利休の死から100年位後に発見した弟子が大切に保存しようと箱に入れたモノ。 』 

ソースはここ。(リンク先の画面右下"Impatient?"をクリックしてください。)

なお、現在までの番組史上最高額は2005年9月27日放送の、初期柿右衛門様式のツボで5億円でした。

※評価額5億円の初期柿右衛門様式のツボ。番組公式サイト、高額鑑定品一覧はこちら。

【関連リンク】
曜変天目茶碗 - Wikipedia まずはここから。
静嘉堂文庫美術館 稲葉天目所蔵館。解説はこちら
藤田美術館 もうひとつの所蔵館。解説はこちら
曜変天目茶碗 - 桶谷寧 - 京都の陶器専門店 銀葉 再現茶碗購入問い合わせ先。
帝都モノガタリ 大正の物価 大正時代の物価、参考サイト。
開運!なんでも鑑定団 テレビ東京公式サイト。

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posted by 桜 真太郎 at 16:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 伝説・ミステリー
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