2011年11月17日

THE BOOM 島唄の意味と真実,宮沢和史の想い



1993年にシングル150万枚を売り上げた、THE BOOMの「島唄」。

当時はカラオケブームで、私も少なくとも週に2-3回カラオケボックスに行っていました。島唄はそのころから大好きな曲で、今でもよく歌います。

1990年代初頭は、長戸大幸率いる音楽プロダクション、ビーイングが今では考えられないような一大ブームを巻き起こしていました。私もB'z、WANDS、T-BOLAN、DEENなどを歌いまくっていました。ビーイングの女性アーティストでは、ZARD、大黒摩季などが人気を博していました。そのほかにも、良い曲を作るアーティストがキラ星のように並んでいて、本当にカラオケの楽しい時代でした。いわゆるJ-POPが一番元気な時代であったと思います。

少し数が多くなりますが1993年のヒット曲を列記してみました。

ロード THE虎舞竜
Get Along Together 山根康広
夏の日の1993 class
島唄 THE BOOM
エロティカ・セブン サザンオールスター
このまま君だけを奪い去りたい DEEN
負けないで ZARD
揺れる想い ZARD
真夏の夜の夢 荒井由実
YAH YAH YAH CHAGE&ASKA
裸足の女神 B'z
愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない B'z
RUN 長渕剛
Make-up Shadow 井上陽水
時の扉 WANDS
KISS ME 氷室京介
もっと強く抱きしめたなら WANDS
愛を語るより口づけをかわそう WANDS
夏を待ちきれなくて TUBE
ぼくたちの失敗 森田童子
慟哭 工藤静香
優しい雨 小泉今日子
サボテンの花 財津和夫
別れましょう私から消えましょうあなたから 大黒摩季
チョット 大黒摩季
だって夏じゃない TUBE
WE ARE THE CHAMP THE WAVES
go for it! Dreams Come True
果てしない夢を ZYYG, REV, ZARD & WANDS
ポケベルが鳴らなくて 国武万里
心凍らせて 高山厳
恋せよ乙女 WANDS
もう少し あと少し ZARD
君がいない ZARD
翼を広げて DEEN
世界中の誰よりきっと 中山美穂&WANDS
君が欲しくてたまらない ZYYG
MELODY 福山雅治
彼女の恋人 槇原敬之
All My Loving 福山雅治
TRUE LOVE 藤井フミヤ
おさえきれないこの気持ち T-BOLAN
江ノ島 Z団
むらさき雨情 藤あや子
Bye For Now T-BOLAN
真夜中のダンディー 桑田佳祐
最後の雨 中西保志
今を抱きしめて NOA
Memories DEEN
刹那さを消せやしない T-BOLAN
24時間の神話 VOICE
僕らが生まれたあの日のように USED TO B
No.1 槇原敬之
Sons and Daughters CHAGE&ASKA
きっと忘れない ZARD
すれ違いの純情 T-BOLAN
さらば青春の光 布袋寅泰
男 久宝留理子
がじゃいも とんねるず
夢 with You 久保田利伸
天使の休息 久松史奈
Harlem Night 大黒摩季
Try Boy,Try Girl 前田亘輝
夢 with You 本城裕二
咲き誇れ愛しさよ Wink
恋人 鈴木雅之
私の夏 森高千里
Tears X JAPAN
だってそうじゃない!? LINDBERG
ときの旅路〜REXのテーマ〜 米米CLUB
オラはにんきもの のはらしんのすけ
大切なあなた 松田聖子
素敵なバーディー サザンオールスター
Jumpin' Jack Boy WANDS
幸せになるために 中山美穂
胸さわぎのAfter School LINDBERG
Single is Best!? 平松愛理
ズル休み 槇原敬之
クリスマス・ラブ サザンオールスター
You And I 中西圭三
EZ DO DANCE trf
愛はふしぎさ 米米CLUB
もう君を離さない class
風の中の火のように KAI FIVE
Lovin' You 横山輝一
PARADISE Toshi
風に吹かれて 森高千里
君は僕の勇気 東野純直
YA-YA-YA ZOO
こころ酒 藤あや子
何も言えなくて・・・夏 J-WALK
サヨナラ GAO
北風〜君にとどきますように〜 槇原敬之
影法師 堀内孝雄
僕ならばここにいる 稲垣潤一
僕のそばに 徳永英明
会いたくて〜Lover Soul〜 LINDBERG
蜩 長山洋子
KISSに撃たれて眠りたい 吉川晃司
瞳を僕に近づけて CORVETTES
べにばな 五木ひろし
一途な恋 TM NETWORK
永遠をあずけてくれ DEEN

青春が甦る方も多いのではないでしょうか。

Mr.Childrenはこの時期まだブレイクしていません。CROSS ROADがヒットし、innocent world(イノセント ワールド)が大ヒットしたのが翌1994年です。

このような歌の中でも島唄は沖縄民謡の調べと、独特の歌詞で若者から大人までとりわけ人気の高い曲でした。

この「島唄」の裏歌詞、本当の意味というのが話題になったのは2002年頃のことでしょうか。

2002年5月16日の朝日新聞(朝刊)にこのような記事が載りました。

本土発「島唄」、風に乗り(沖縄とヤマト 30年の道のり:1)
沖縄(うちなー)とヤマト
 
沖縄音階にはレとラがない。それを取り入れて大ヒットしたザ・ブームの「島唄(しまうた)」が、アルゼンチンでヒットしている。

タイトルは、そのまま「SHIMAUTA」。タレントのアルフレド・カセーロさん(36)が、ブエノスアイレスの日本食レストランでこの歌を聞いたのがきっかけ。そのまま日本語で歌う。

昨年12月に発売され、ほどなくランキング1位を記録した。オキナワを起源とした歌が、世界に羽ばたいた。

 (中略)

「ハイサイおじさん」で知られた沖縄の歌手、喜納昌吉さんは80年、「泣きなさい/笑いなさい」と歌う「花」をリリースした。演奏会を終えたある2次会でのことだ。喜納さんのもとに、沖縄や本土の運動家らがやって来た。

「なぜヤマトの言葉で歌うのか」「裏切り者」。喜納さんは「自分の言葉を愛する人はよその国の言葉も愛することができる」と反論した。

「島唄」を作詞作曲してヒットさせた宮沢和史(かずふみ)さんは、甲府市の出身だ。「島唄」が世に出る約1年前の91年冬、沖縄を訪ねた。

以前から沖縄音楽に魅せられていた。懐かしさがこみ上げ心が震える。むさぼるように聞いた。沖縄音楽のルーツを知りたくて、歴史や風土の本を読みあさった。沖縄についてあまりに無知なのを思い知らされた。

沖縄に到着するや「ひめゆり平和祈念資料館」を訪ねた。生き残った女学生が沖縄戦をつづった手記を読む。平静ではいられない。

近くにあるガマ(洞窟(どうくつ))に入った。しゃがみ込み、ここで集団自決した親子や女学生らのことを思い浮かべた。

一歩外に出れば、サトウキビ畑が静かに風に揺れている。そのコントラストに衝撃を受けて作った歌が「島唄」だ。

だが、一方でためらいがあった。「自分が歌っていいのだろうか」。触れてはいけない壁のようなものを感じた。

歌詞に、男女が出会い、そして別れる場面がある。本土の犠牲になって別れを余儀なくされた部分に沖縄音階をつけたくなかった。そこだけは普通の音階に戻した。見えない壁がそうさせた。

こうしてできた「島唄」に対し、沖縄のミュージシャンの一部は手厳しかった。「沖縄の表面的なまねごとで歌を作るなんて許せない」

そんなとき、励ましてくれたのが喜納さんだった。「音楽では魂までコピーしたら許される」

ヒット後、三線(さんしん)を手に取る若者が増えた。
(後略)


2005年、朝日新聞に「宮沢和史の旅する音楽」というシリーズが連載され、2回に渡り「島唄」の創作秘話が語られます。

(宮沢和史の旅する音楽:その1)たった一人のために

「島唄(しまうた)」は、本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。

91年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼくは、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた。そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い、本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされた激しい沖縄地上戦で大勢の住民が犠牲になったことを知った。

捕虜になることを恐れた肉親同士が互いに殺し合う。極限状況の話を聞くうちにぼくは、そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。

資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟<どうくつ>)の中にいるような造りになっている。このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。

だが、その資料館から一歩外に出ると、ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。

歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」という下りだ。「島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが、この部分は本土で使われている音階に戻した。2人は本土の犠牲になったのだから。

(みやざわ・かずふみ。66年生まれ。歌手)

2005年8月22日 朝日新聞(朝刊)


(宮沢和史の旅する音楽:その9)再び「島唄」のふるさとへ

02年夏。ぼくはアルゼンチンのマルチアーティスト、アルフレド・カセーロとともに沖縄の竹富島にいた。石垣島から船で10分。赤い瓦の伝統的な建物が美しいこの島では以前に「島唄」のビデオクリップを撮影したことがある。ぼくらは2人並んで海に浮かぶ月を眺めた。

翌日は沖縄本島のひめゆり平和祈念資料館に向かった。彼は、沖縄地上戦を生き延びたおばあさんの体験談に強い衝撃を受けたようだった。陽気な彼は黙っておばあさんの語りに耳を傾けた。

最後はコザの民謡酒場。夜が更けるほどに泡盛を飲み、一緒に民謡を歌いながら、彼はぼくが「島唄」に込めた意味を全身で受け止めてくれた。

ぼくにとって沖縄は本当に大切な場所だ。多くの人々との出会いがあった。
 
自分で「島唄」を作っておきながら、「本土出身者のぼくがこの歌を歌っていいのか」と悩んだことがあった。その時、「音楽では魂までコピーしたら許される」という言葉でぼくの背中を押してくれた人がいた。「花」を始めとする多くの名曲で知られる喜納昌吉さんだった。

沖縄はまた、大人になって出会った「ふるさと」でもある。特に竹富島は「隠れ家」のような場所。島を歩いていると、おばあさんから「あんたかい、『島唄』を書いたのは」と声がかかったりする。ゆったりとした時間が流れる沖縄は、自分が「人間」という生き物であることを改めて教えてくれる。

2005年09月01日 朝日新聞朝刊


歌詞を作った宮沢和史の想いを持って歌詞を見直してみると、歌詞の持つ本当の意味が浮かんできます。

THE BOOM 島唄  作詞:宮沢和史


でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
繰り返す 哀しみは 島わたる 波のよう
ウージの森で あなたと出会い
ウージの下で 千代にさよなら
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ
島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙

でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
ウージの森で 歌った友よ
ウージの下で 八千代に別れ
島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を

海よ 宇宙よ 神よ 命よ
このまま永遠に夕凪を

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の愛を

前段の部分は米軍の沖縄攻撃、上陸しての地上戦の様子でしょう。

さとうきび畑で愛を誓った人と、さとうきび畑地下の鍾乳洞で永遠の別れとなった様子を表しています。死者の魂を表す「鳥」、平和を表す「夕凪」、ただのラブソングとは異なる本当の意味が現れてきます。

ネット上の意訳は先鋭的に過ぎるものが多いので、できるだけ歌詞の意味を損なわない範囲で訳をつけてみました。

※でいごの花
でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
(1945年春、でいごの花が咲く頃、米軍の沖縄攻撃が開始された。)

でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
(でいごの花が咲き誇る初夏になっても、米軍の沖縄攻撃は続いている。)

繰り返す 哀しみは 島わたる 波のよう
(多数の民間人が繰り返し犠牲となり、人々の哀しみは、島中に波のように広がった。)

ウージの森で あなたと出会い
(サトウキビ畑で、愛するあなたと出会った。)

ウージの下で 千代にさよなら
(サトウキビ畑の下の洞窟で、愛するあなたと永遠の別れとなった。)

島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
(島唄よ、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)

でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
(でいごの花が散る頃、沖縄戦での大規模な戦闘は終わり、平穏が訪れた。)

ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
(平和な時代のささやかな幸せは、波間の泡の様に、はかなく消えてしまった。)

ウージの森で 歌った友よ
(サトウキビ畑で、一緒に歌を歌った友よ。)

ウージの下で 八千代に別れ
(サトウキビ畑の下の洞窟で、永遠の別れとなった。)

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
(島唄よ、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)

海よ 宇宙よ 神よ 命よ
(海よ 宇宙よ 神よ 命よ 万物に乞い願う。)

このまま永遠に夕凪を
(このまま永遠に穏やかな平和が続いてほしい。)

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
(島唄は、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の愛を
(島唄は、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)


■解説■
でいごの花:春から初夏にかけて赤い花が咲く。見事に咲いた年は天災に見舞われるという言い伝えがある。

洞窟:沖縄は石灰岩の土壌で畑の下には多くの洞窟や鍾乳洞(ガマ)がある。米軍の攻撃や、自決などでガマの中で多数の民間人が犠牲になった。宮沢の記事にあるとおり。Googleで"okinawa cave"で検索すると、当時の写真が多数出てくる。米軍の攻撃により民間人が洞窟から出てくる写真がこれ。第二次世界大戦の記録をしているアメリカ海兵隊のウェブサイトにある、沖縄戦のページに掲載されている。

ニライカナイ:沖縄の民間伝承で東の海のかなたにあると考えられている異界。豊穣や生命の源であり、神界でもある。年初にはニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、年末にまた帰るとされる。また、生者の魂もニライカナイより来て、死者の魂はニライカナイに去ると考えられている。

千代、八千代:国歌、君が代の歌詞に合わせて韻を踏んでいる。

※対訳2012年8月23日追記

プロモーションビデオで、宮沢和史が白の上下の服を着ているのは、死者が着る死装束(しにしょうぞく)を表しているとも考えられます。

ネット上の意訳やYoutubeの「島唄の本当の意味」は先鋭的(過激)すぎるように思います。今では沖縄を代表する曲のように思われている島唄ですが、発表当時は沖縄のアーティストからの批判、山梨県出身の宮沢が沖縄の旋律を使うことへの苦悩がありました。

1993年の大ヒット曲であり、アルゼンチンでもヒットし、世界中で歌われている曲です。特定の思想や政治目的の過剰な表現は控え、歌を歌う一人一人が作詞者、宮沢和史の詞に込めた思いを理解し、感じ取ることが大切なのではないでしょうか。

【関連リンク】
島唄 (THE BOOM) - Wikipedia まずはここから。
1993年(平成5年)のヒット曲 列記した曲の引用元。前後の年のヒット曲も懐かしい。
ビーイング - Wikipedia 長戸大幸率いる音楽プロダクション、ビーイング(Being,Inc.)の解説。
宮沢和史、20年の月日を経て語る「島唄」への隠された思い 2013年最新のインタビュー。

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posted by 桜 真太郎 at 21:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 伝説・ミステリー
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