2013年07月13日

ジョー・マクモニーグルが邪馬台国と卑弥呼を透視する

 
左:邪馬台国発見―FBI超能力捜査官ジョー・マクモニーグルのサイキック考古学
右:学研「ムー」2008年3月号 ※画像クリックでAmazonに飛びます。

2008年3月号の学研「ムー」にこの記事が掲載されました。

FBI超能力捜査官として高名なジョー・マクモニーグルに古代日本の謎を透視させるという胸が躍るような企画です。

以下、概要のまとめです。

透視年月日 2007年9月18日

卑弥呼の墓
山口県下関市豊田町の安徳天皇西市陵墓参考地に卑弥呼が眠っていると断言。箸墓古墳は卑弥呼の墓ではない。5人の豪族が埋葬されており西暦180年〜190年頃のものである。

壱与の墓
奈良県広陵町馬見丘陵公園内の巣山古墳。

卑弥呼の姿
大変長命であった。71〜73歳くらいまで生きた。41〜63歳くらいまでの間が最も美しく力に満ちた時代であり尊敬され影響力があった。

身長157cm、体重55.3kg。目の色はスティールグレー(鉄灰色)。髪は腰まであり、長くストレートでカラスのような黒髪。爪は3.8cm〜5.1cmで赤く塗られている。足は小さいが纏足をしているわけではない。肌の色はアイボリー(象牙色)。

小柄で華奢なようだが、現代の基準でみると若干太り気味。しかし、当時はこの体系が最も美しいとされていた。

髪の毛はとても長かったが頭の上に高く巻き上げ黄金のかんざしで止めていた。中年に至っても顔にはほとんどしわがなく年齢を推測するのが非常に困難であった。話し声はやわらかで優しさを漂わせていたが相手に質問をゆるさない断固とした口調であった。

シャーマンであり部族連合のリーダー的存在であった。結婚もしておらず子供もいない。

普段はゆったりとした足首まであるローブのような服を着て生活していたが、戦(いくさ)の時には弓矢を持ち、裾をたくし上げた姿で戦場に臨んだ。

卑弥呼の居城
卑弥呼は夏と冬で居城を変えていた。


奈良県桜井市鳥見山。ここで部族連合の長としての統治をおこなっていた。魏志倭人伝にいう邪馬台国の位置はここである。


山口県下関市豊田町の豊田湖畔。卑弥呼はここの部族の出身。冬に里帰りをしていた。

邪馬台国の位置
部族連合の長として統治を行っていた奈良県。ただし邪馬台国の勢力圏は三重、岐阜、京都、石川以西の西日本すべて。九州、四国も含む。

卑弥呼の出身種族の名前Yamata、Yamato、Yamatayoのいずれかであるが、Yamatoが最も可能性が高い。

卑弥呼の部族は中国雲南省昆明付近に源流があり、ハノイ、ハイフォン、マカオ、台北、奄美大島、熊本、福岡を経由して山口県に移動してきた。

部族の移動した場所には「ヤマト」の地名が残されている。熊本県上益郡山都町(九州で最初の上陸地)、長崎県佐世保市大和町、佐賀県柳川市大和町、白石町大字牛屋大和、佐賀市大和町、鳥栖市大和町(この付近に最初の恒久的な入植地を設営)、福岡県西区下山門・上山門、山口県下関市大和町、油谷向渾興下大和(卑弥呼生誕地付近)などである。

マクモニーグルの透視説をとれば、邪馬台国の名はそのまま、大和に引き継がれたということになります。




邪馬台国の位置を巡ってはいまでも論争が続いていますが、大きく分けると九州説と機内説の二つになります。

ヤマタイ(邪馬台)が、ヤマト(大和)に変化したという説は無理がありませんし、 卑弥呼(ヒミコ) = 日巫女 = 日の巫女(ひのみこ) = 天照大神(アマテラスオオミカミ)と考えるのも大きな違和感は感じません。

マクモニーグルの説は本当に面白いと思います。

追って、画像、地図等追加していきます。

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posted by 桜 真太郎 at 10:28 | Comment(0) | 日本史の謎
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