2011年11月17日

THE BOOM 島唄の意味と真実,宮沢和史の想い



1993年にシングル150万枚を売り上げた、THE BOOMの「島唄」。

当時はカラオケブームで、私も少なくとも週に2-3回カラオケボックスに行っていました。島唄はそのころから大好きな曲で、今でもよく歌います。

1990年代初頭は、長戸大幸率いる音楽プロダクション、ビーイングが今では考えられないような一大ブームを巻き起こしていました。私もB'z、WANDS、T-BOLAN、DEENなどを歌いまくっていました。ビーイングの女性アーティストでは、ZARD、大黒摩季などが人気を博していました。そのほかにも、良い曲を作るアーティストがキラ星のように並んでいて、本当にカラオケの楽しい時代でした。いわゆるJ-POPが一番元気な時代であったと思います。

少し数が多くなりますが1993年のヒット曲を列記してみました。

ロード THE虎舞竜
Get Along Together 山根康広
夏の日の1993 class
島唄 THE BOOM
エロティカ・セブン サザンオールスター
このまま君だけを奪い去りたい DEEN
負けないで ZARD
揺れる想い ZARD
真夏の夜の夢 荒井由実
YAH YAH YAH CHAGE&ASKA
裸足の女神 B'z
愛のままにわがままに僕は君だけを傷つけない B'z
RUN 長渕剛
Make-up Shadow 井上陽水
時の扉 WANDS
KISS ME 氷室京介
もっと強く抱きしめたなら WANDS
愛を語るより口づけをかわそう WANDS
夏を待ちきれなくて TUBE
ぼくたちの失敗 森田童子
慟哭 工藤静香
優しい雨 小泉今日子
サボテンの花 財津和夫
別れましょう私から消えましょうあなたから 大黒摩季
チョット 大黒摩季
だって夏じゃない TUBE
WE ARE THE CHAMP THE WAVES
go for it! Dreams Come True
果てしない夢を ZYYG, REV, ZARD & WANDS
ポケベルが鳴らなくて 国武万里
心凍らせて 高山厳
恋せよ乙女 WANDS
もう少し あと少し ZARD
君がいない ZARD
翼を広げて DEEN
世界中の誰よりきっと 中山美穂&WANDS
君が欲しくてたまらない ZYYG
MELODY 福山雅治
彼女の恋人 槇原敬之
All My Loving 福山雅治
TRUE LOVE 藤井フミヤ
おさえきれないこの気持ち T-BOLAN
江ノ島 Z団
むらさき雨情 藤あや子
Bye For Now T-BOLAN
真夜中のダンディー 桑田佳祐
最後の雨 中西保志
今を抱きしめて NOA
Memories DEEN
刹那さを消せやしない T-BOLAN
24時間の神話 VOICE
僕らが生まれたあの日のように USED TO B
No.1 槇原敬之
Sons and Daughters CHAGE&ASKA
きっと忘れない ZARD
すれ違いの純情 T-BOLAN
さらば青春の光 布袋寅泰
男 久宝留理子
がじゃいも とんねるず
夢 with You 久保田利伸
天使の休息 久松史奈
Harlem Night 大黒摩季
Try Boy,Try Girl 前田亘輝
夢 with You 本城裕二
咲き誇れ愛しさよ Wink
恋人 鈴木雅之
私の夏 森高千里
Tears X JAPAN
だってそうじゃない!? LINDBERG
ときの旅路〜REXのテーマ〜 米米CLUB
オラはにんきもの のはらしんのすけ
大切なあなた 松田聖子
素敵なバーディー サザンオールスター
Jumpin' Jack Boy WANDS
幸せになるために 中山美穂
胸さわぎのAfter School LINDBERG
Single is Best!? 平松愛理
ズル休み 槇原敬之
クリスマス・ラブ サザンオールスター
You And I 中西圭三
EZ DO DANCE trf
愛はふしぎさ 米米CLUB
もう君を離さない class
風の中の火のように KAI FIVE
Lovin' You 横山輝一
PARADISE Toshi
風に吹かれて 森高千里
君は僕の勇気 東野純直
YA-YA-YA ZOO
こころ酒 藤あや子
何も言えなくて・・・夏 J-WALK
サヨナラ GAO
北風〜君にとどきますように〜 槇原敬之
影法師 堀内孝雄
僕ならばここにいる 稲垣潤一
僕のそばに 徳永英明
会いたくて〜Lover Soul〜 LINDBERG
蜩 長山洋子
KISSに撃たれて眠りたい 吉川晃司
瞳を僕に近づけて CORVETTES
べにばな 五木ひろし
一途な恋 TM NETWORK
永遠をあずけてくれ DEEN

青春が甦る方も多いのではないでしょうか。

Mr.Childrenはこの時期まだブレイクしていません。CROSS ROADがヒットし、innocent world(イノセント ワールド)が大ヒットしたのが翌1994年です。

このような歌の中でも島唄は沖縄民謡の調べと、独特の歌詞で若者から大人までとりわけ人気の高い曲でした。

この「島唄」の裏歌詞、本当の意味というのが話題になったのは2002年頃のことでしょうか。

2002年5月16日の朝日新聞(朝刊)にこのような記事が載りました。

本土発「島唄」、風に乗り(沖縄とヤマト 30年の道のり:1)
沖縄(うちなー)とヤマト
 
沖縄音階にはレとラがない。それを取り入れて大ヒットしたザ・ブームの「島唄(しまうた)」が、アルゼンチンでヒットしている。

タイトルは、そのまま「SHIMAUTA」。タレントのアルフレド・カセーロさん(36)が、ブエノスアイレスの日本食レストランでこの歌を聞いたのがきっかけ。そのまま日本語で歌う。

昨年12月に発売され、ほどなくランキング1位を記録した。オキナワを起源とした歌が、世界に羽ばたいた。

 (中略)

「ハイサイおじさん」で知られた沖縄の歌手、喜納昌吉さんは80年、「泣きなさい/笑いなさい」と歌う「花」をリリースした。演奏会を終えたある2次会でのことだ。喜納さんのもとに、沖縄や本土の運動家らがやって来た。

「なぜヤマトの言葉で歌うのか」「裏切り者」。喜納さんは「自分の言葉を愛する人はよその国の言葉も愛することができる」と反論した。

「島唄」を作詞作曲してヒットさせた宮沢和史(かずふみ)さんは、甲府市の出身だ。「島唄」が世に出る約1年前の91年冬、沖縄を訪ねた。

以前から沖縄音楽に魅せられていた。懐かしさがこみ上げ心が震える。むさぼるように聞いた。沖縄音楽のルーツを知りたくて、歴史や風土の本を読みあさった。沖縄についてあまりに無知なのを思い知らされた。

沖縄に到着するや「ひめゆり平和祈念資料館」を訪ねた。生き残った女学生が沖縄戦をつづった手記を読む。平静ではいられない。

近くにあるガマ(洞窟(どうくつ))に入った。しゃがみ込み、ここで集団自決した親子や女学生らのことを思い浮かべた。

一歩外に出れば、サトウキビ畑が静かに風に揺れている。そのコントラストに衝撃を受けて作った歌が「島唄」だ。

だが、一方でためらいがあった。「自分が歌っていいのだろうか」。触れてはいけない壁のようなものを感じた。

歌詞に、男女が出会い、そして別れる場面がある。本土の犠牲になって別れを余儀なくされた部分に沖縄音階をつけたくなかった。そこだけは普通の音階に戻した。見えない壁がそうさせた。

こうしてできた「島唄」に対し、沖縄のミュージシャンの一部は手厳しかった。「沖縄の表面的なまねごとで歌を作るなんて許せない」

そんなとき、励ましてくれたのが喜納さんだった。「音楽では魂までコピーしたら許される」

ヒット後、三線(さんしん)を手に取る若者が増えた。
(後略)


2005年、朝日新聞に「宮沢和史の旅する音楽」というシリーズが連載され、2回に渡り「島唄」の創作秘話が語られます。

(宮沢和史の旅する音楽:その1)たった一人のために

「島唄(しまうた)」は、本当はたった一人のおばあさんに聴いてもらいたくて作った歌だ。

91年冬、沖縄音楽にのめり込んでいたぼくは、沖縄の「ひめゆり平和祈念資料館」を初めて訪れた。そこで「ひめゆり学徒隊」の生き残りのおばあさんに出会い、本土決戦を引き延ばすための「捨て石」とされた激しい沖縄地上戦で大勢の住民が犠牲になったことを知った。

捕虜になることを恐れた肉親同士が互いに殺し合う。極限状況の話を聞くうちにぼくは、そんな事実も知らずに生きてきた無知な自分に怒りさえ覚えた。

資料館は自分があたかもガマ(自然洞窟<どうくつ>)の中にいるような造りになっている。このような場所で集団自決した人々のことを思うと涙が止まらなかった。

だが、その資料館から一歩外に出ると、ウージ(さとうきび)が静かに風に揺れている。この対比を曲にしておばあさんに聴いてもらいたいと思った。

歌詞の中に、ガマの中で自決した2人を歌った部分がある。「ウージの森で あなたと出会い ウージの下で 千代にさよなら」という下りだ。「島唄」はレとラがない沖縄音階で作ったが、この部分は本土で使われている音階に戻した。2人は本土の犠牲になったのだから。

(みやざわ・かずふみ。66年生まれ。歌手)

2005年8月22日 朝日新聞(朝刊)


(宮沢和史の旅する音楽:その9)再び「島唄」のふるさとへ

02年夏。ぼくはアルゼンチンのマルチアーティスト、アルフレド・カセーロとともに沖縄の竹富島にいた。石垣島から船で10分。赤い瓦の伝統的な建物が美しいこの島では以前に「島唄」のビデオクリップを撮影したことがある。ぼくらは2人並んで海に浮かぶ月を眺めた。

翌日は沖縄本島のひめゆり平和祈念資料館に向かった。彼は、沖縄地上戦を生き延びたおばあさんの体験談に強い衝撃を受けたようだった。陽気な彼は黙っておばあさんの語りに耳を傾けた。

最後はコザの民謡酒場。夜が更けるほどに泡盛を飲み、一緒に民謡を歌いながら、彼はぼくが「島唄」に込めた意味を全身で受け止めてくれた。

ぼくにとって沖縄は本当に大切な場所だ。多くの人々との出会いがあった。
 
自分で「島唄」を作っておきながら、「本土出身者のぼくがこの歌を歌っていいのか」と悩んだことがあった。その時、「音楽では魂までコピーしたら許される」という言葉でぼくの背中を押してくれた人がいた。「花」を始めとする多くの名曲で知られる喜納昌吉さんだった。

沖縄はまた、大人になって出会った「ふるさと」でもある。特に竹富島は「隠れ家」のような場所。島を歩いていると、おばあさんから「あんたかい、『島唄』を書いたのは」と声がかかったりする。ゆったりとした時間が流れる沖縄は、自分が「人間」という生き物であることを改めて教えてくれる。

2005年09月01日 朝日新聞朝刊


歌詞を作った宮沢和史の想いを持って歌詞を見直してみると、歌詞の持つ本当の意味が浮かんできます。

THE BOOM 島唄  作詞:宮沢和史


でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
繰り返す 哀しみは 島わたる 波のよう
ウージの森で あなたと出会い
ウージの下で 千代にさよなら
島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ
島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙

でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
ウージの森で 歌った友よ
ウージの下で 八千代に別れ
島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を

海よ 宇宙よ 神よ 命よ
このまま永遠に夕凪を

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の愛を

前段の部分は米軍の沖縄攻撃、上陸しての地上戦の様子でしょう。

さとうきび畑で愛を誓った人と、さとうきび畑地下の鍾乳洞で永遠の別れとなった様子を表しています。死者の魂を表す「鳥」、平和を表す「夕凪」、ただのラブソングとは異なる本当の意味が現れてきます。

ネット上の意訳は先鋭的に過ぎるものが多いので、できるだけ歌詞の意味を損なわない範囲で訳をつけてみました。

※でいごの花
でいごの花が咲き 風を呼び 嵐が来た
(1945年春、でいごの花が咲く頃、米軍の沖縄攻撃が開始された。)

でいごが咲き乱れ 風を呼び 嵐が来た
(でいごの花が咲き誇る初夏になっても、米軍の沖縄攻撃は続いている。)

繰り返す 哀しみは 島わたる 波のよう
(多数の民間人が繰り返し犠牲となり、人々の哀しみは、島中に波のように広がった。)

ウージの森で あなたと出会い
(サトウキビ畑で、愛するあなたと出会った。)

ウージの下で 千代にさよなら
(サトウキビ畑の下の洞窟で、愛するあなたと永遠の別れとなった。)

島唄よ 風にのり 鳥と共に 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄よ 風にのり 届けておくれ わたしの涙
(島唄よ、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)

でいごの花も散り さざ波がゆれるだけ
(でいごの花が散る頃、沖縄戦での大規模な戦闘は終わり、平穏が訪れた。)

ささやかな幸せは うたかたぬ波の花
(平和な時代のささやかな幸せは、波間の泡の様に、はかなく消えてしまった。)

ウージの森で 歌った友よ
(サトウキビ畑で、一緒に歌を歌った友よ。)

ウージの下で 八千代に別れ
(サトウキビ畑の下の洞窟で、永遠の別れとなった。)

島唄よ 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄よ、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄よ 風に乗り 届けておくれ 私の愛を
(島唄よ、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)

海よ 宇宙よ 神よ 命よ
(海よ 宇宙よ 神よ 命よ 万物に乞い願う。)

このまま永遠に夕凪を
(このまま永遠に穏やかな平和が続いてほしい。)

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の涙(なだば)
(島唄は、風に乗せて、沖縄の悲しみを本土に届けてほしい。)

島唄は 風に乗り 鳥とともに 海を渡れ
(島唄は、風に乗せて、死者の魂と共に海を渡り、遥か遠い東の海の彼方にある神界 "ニライカナイ" に戻って行きなさい。)

島唄は 風に乗り 届けてたもれ 私(わくぬ)の愛を
(島唄は、風に乗せて、彼方の神界にいる友と愛する人に私の愛を届けてほしい。)


■解説■
でいごの花:春から初夏にかけて赤い花が咲く。見事に咲いた年は天災に見舞われるという言い伝えがある。

洞窟:沖縄は石灰岩の土壌で畑の下には多くの洞窟や鍾乳洞(ガマ)がある。米軍の攻撃や、自決などでガマの中で多数の民間人が犠牲になった。宮沢の記事にあるとおり。Googleで"okinawa cave"で検索すると、当時の写真が多数出てくる。米軍の攻撃により民間人が洞窟から出てくる写真がこれ。第二次世界大戦の記録をしているアメリカ海兵隊のウェブサイトにある、沖縄戦のページに掲載されている。

ニライカナイ:沖縄の民間伝承で東の海のかなたにあると考えられている異界。豊穣や生命の源であり、神界でもある。年初にはニライカナイから神がやってきて豊穣をもたらし、年末にまた帰るとされる。また、生者の魂もニライカナイより来て、死者の魂はニライカナイに去ると考えられている。

千代、八千代:国歌、君が代の歌詞に合わせて韻を踏んでいる。

※対訳2012年8月23日追記

プロモーションビデオで、宮沢和史が白の上下の服を着ているのは、死者が着る死装束(しにしょうぞく)を表しているとも考えられます。

ネット上の意訳やYoutubeの「島唄の本当の意味」は先鋭的(過激)すぎるように思います。今では沖縄を代表する曲のように思われている島唄ですが、発表当時は沖縄のアーティストからの批判、山梨県出身の宮沢が沖縄の旋律を使うことへの苦悩がありました。

1993年の大ヒット曲であり、アルゼンチンでもヒットし、世界中で歌われている曲です。特定の思想や政治目的の過剰な表現は控え、歌を歌う一人一人が作詞者、宮沢和史の詞に込めた思いを理解し、感じ取ることが大切なのではないでしょうか。

【関連リンク】
島唄 (THE BOOM) - Wikipedia まずはここから。
1993年(平成5年)のヒット曲 列記した曲の引用元。前後の年のヒット曲も懐かしい。
ビーイング - Wikipedia 長戸大幸率いる音楽プロダクション、ビーイング(Being,Inc.)の解説。
宮沢和史、20年の月日を経て語る「島唄」への隠された思い 2013年最新のインタビュー。

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posted by 桜 真太郎 at 21:21 | Comment(0) | TrackBack(0) | 伝説・ミステリー

2011年09月03日

国宝 曜変天目 茶碗の中の宇宙


宇宙を思わせる文様の美しい茶碗です。

曜変天目(ようへんてんもく)と呼ばれる茶碗の中でも最も美しい、静嘉堂文庫が所蔵する稲葉天目という茶碗です。

全ての茶器、茶道具の中でも恐らく最高値の逸品です。大正7年に売買された時の価格は16万8千円。当時の1円を現代の1万円で換算すると16億8千万円です。

大正7年の労働者家庭の生活費は1か月28円、大学年間学費55円、小学校教員初任給12-20円、日雇い労働者の賃金1日1円99銭。

2011年、勤労者世帯の1か月平均の生活費は30万9千円(総務省統計局)、国立大学年間授業料(標準額)53万5千800円(文部省令)。

大正7年(1918年)の1円を、2011年(平成23年)の1万円と換算して大きな違和感はありません。

ただし、大正時代はかなりのインフレで1年違うと物価は相当異なります。このサイトが参考になります。

現代でオークションにかけたら、50億円、あるいは100億円は下らないでしょうか。オークションは競り合う相手がいて値段が上がりますが、中国南宋時代の世界に3点しかない茶碗がオークションに出れば、中国人の富豪が金に糸目をつけないで落札にかかると思われます。

曜変天目茶碗の現存するものは世界に3点と言われ、全て日本にあります。また、3点すべてが国宝に指定されています。

曜変というのは、漆黒の釉面に結晶によるさまざまの斑紋が群をなして現れ、その周りが瑠璃色の美しい光りを放っているものをいいます。曜変は「窯変(ようへん)」から来ています。窯の中で偶然の変化(窯変)が起こり、釉薬の上に美しい自然の文様が現れることがあり、これを曜変と呼びました。

「お宝何でも鑑定団」で中島誠之助さんが釉薬(ゆうやく)の変化や、灰が落ちて溶けた「自然釉(しぜんゆう)」の話をされることがありますが、そのような釉面の変化の中で最も高度な変化を起こしたものが曜変天目なのでしょう。

この茶碗は南宋(12~13世紀)の時代、中国福建省建陽市にあった建窯で作られました。作者は不明ですが、形状、大きさがいずれも良く似ていることから、同一人物の作だという説もあります。この窯後は発掘されており、天目茶碗の破片が多数発見されています。
   

曜変天目が世界に3点だけしか存在しない理由は謎です。南宋のある時期、建窯で数えるほどわずかな曜変天目茶碗が焼かれ、それから二度と焼かれることは無く、なぜ日本にだけ存在し中国には残っていないのかはわかっていません。

曜変天目が貴重なのは、その後800年以上、この文様を再現できなかったことも理由の一つです。現代の技術でも再現ができず、似た作品が作られるようになったのは21世紀になった2002年頃のことです。

これは当時ニュースになりました。陶芸家の、林恭助が国宝3点にかなり近い天目を発表し高い評価を得ました。成功の鍵は陶土を直接建陽市から輸入し、作陶に使用したことにあるそうです。

このほかにも京都の陶芸家、桶谷寧が再現した曜変天目があります。この方の普通の作品が20~40万円で、天目茶碗は要問合せになっていますので、最低でも100万円以上はするものと思われます。

これは日本のことなのでwikiも詳しくできています。

以下、日本に現存する3点の概要を記載します。

★2012年10月30日 文献情報追加 原色日本の美術 第29巻 請来美術(陶芸) 1972年 小学館

静嘉堂文庫蔵(TOPの画像も)

★Wikipedia解説
稲葉天目の通称で知られ、曜変天目茶碗の中でも最高の物とされる。元は徳川将軍家の所蔵で、徳川家光が春日局に下賜したことから、その子孫である淀藩主稲葉家に伝わった。そのため、「稲葉天目」と呼ばれるようになった。その後、三菱財閥総帥の岩崎小弥太が入手したが、岩崎は「天下の名器を私如きが使うべきでない」として、生涯使うことはなかったという。現在は静嘉堂文庫所蔵。 国宝。 なお、近年オープンした東京丸の内の三菱一号館内「三菱センター デジタルギャラリー」ではデジタルコンテンツとして常時閲覧することができる。

補足
徳川将軍家(柳営御物)→淀藩稲葉家→小野哲郎氏(三井)→岩崎家(三菱)
大正7年3月に売り出された「曜変天目茶碗」を、小野哲郎氏が16万8千円で入手。その後、昭和9年に約9万円位の値で岩崎小弥太氏の手に渡りました。

★「原色日本の美術」解説
曜変は『君台観左右帳記』に記すように、東山時代にはもっとも貴重な、最も高価な茶碗とされていた。その頃「日本に十ばかりある」といわれたが、もと足利家に伝わったものは、織田信長が所持していたとき焼失してしまったので、稲葉家のこの天目が随一のものとなったという。現存する曜変天目のうちでも抜群の秀作であり曜変の代表とされている。

曜変は耀変、容変、曜卞などとも書かれるが、もともと窯変、すなわち窯の中で生じた偶然の変化を、やや詩的に表現したものである。南北朝初期の『仏日庵公物目録』にすでに窯変の名があらわれているし、室町初期の往来物にも窯変の名はしばしばあらわれており、窯変の賞玩は早くから行われていたらしい。したがって、その中国からの舶来は、鎌倉時代から室町初期の頃と考えてよいだろう。

この茶碗はもと徳川将軍家にあったものを、稲葉美濃守が拝領し、代々秘蔵してきたもので、稲葉天目の名はこれによっておこったのである。一般の建盞よりずっと丁寧で、とくに高台のつくりにはそれがよく示されている。内面は漆黒の釉面に油滴風のまるい小さい斑文がいちめんにあらわれており、その周囲が藍色から黄色までさまざまに輝き、またその間隙に光彩と呼ばれる縞状の光芒が不規則にあらわれている。口縁の釉薬は流れて薄くなり、素地を透かして紫褐色を呈し、腰の釉切れの部分には釉が厚く溜まっている。外面はほぼ無文だが、青白くかすんだような部分が何か所かある。すべて玄妙な窯変現象であり、再現不可能な偶然の所産である。陶芸のひとつの極限を示すものといってよいだろう。また、舶載の多くの建盞の中からこのような美しさを発見し、大切に伝えてきたということは、考えなければならない何かを暗示しているもののように思える。

南宋時代に福建省の窯で焼かれたもの。大正七年(1918)稲葉家から出て、小野哲郎氏をへて岩崎小弥太氏の所有となり、静嘉堂文庫に収められた。

大きさ (カッコ内は「原色日本の美術」のサイズ)
高さ:6.8cm (7.0cm)
口径:12.0cm (12.2cm)
高台径:3.8cm (4.0cm)

藤田美術館蔵





★Wikipedia解説
水戸徳川家に伝えられたもので、曜変の斑紋が外側にも現れている。1918年に藤田財閥の藤田平太郎が入手し、現在は藤田美術館所蔵。国宝。

★「原色日本の美術」解説
もと水戸徳川家に伝わった曜変天目で、大正七年(1918)藤田平太郎氏に移り、藤田美術館に収められた。徳川家康が所持していたものらしく、その以前の伝来はわからない。

よく整った、丁寧なつくりの建盞形茶碗で、つややかな漆黒の釉薬が厚くかかり、内面には、大小の不規則な形のまるい斑文が散在し、その周囲が虹色に輝き、縞状の光彩がその間にあらわれている。外側にも青白い小斑文が点々と輝いている。稲葉天目ほど華麗ではないが、曜変のあらわれ方は鮮明で、龍光院の曜変と肩をならべる名品である。

大きさ (カッコ内は「原色日本の美術」のサイズ)
高さ:6.8cm (6.8cm) 
口径:12.3cm (12.3cm)
高台径:3.8cm (3.6cm)

大徳寺龍光院蔵(※一般公開なし)





★Wikipedia解説
堺の豪商津田宗及から大徳寺塔頭の龍光院に伝わったもの。国宝。国宝とされる三椀の曜変天目茶碗のうち、最も地味なものであるが、幽玄な美しさを持つとされて評価が高い。通常非公開であり、鑑賞できる機会は稀である。

★「原色日本の美術」解説
京都大徳寺の龍光院に、開祖宗玩のときから伝わっている名椀である。江月和尚は茶人津田宗及の子で、この茶碗はもと宗及が所持したものであったが、同じ大徳寺の塔頭(たっちゅう)である大通庵に寄進されていたのを、龍光院開創にあたってこれを移したものといわれている。桃山時代の伝来は明らかではないが、やはり鎌倉、室町の頃舶来され、東山時代に珍重されるようになったものであろう。作調は正しい建盞形、曜変現象は稲葉天目ととはちがった独特の静かな趣がある。内面全体にわたって油滴風の小斑文があらわれ、それがさまざまの色合いに淡く美しい輝きをみせている。外面は無文。稲葉天目についで名高い曜変である。

大きさ (カッコ内は「原色日本の美術」のサイズ)
高さ:6.6cm (6.4cm) 
口径:12.1cm (12.2cm)
高台径:3.8cm (3.4cm)

このほかに実は日本にはもうひとつ、4つ目の曜変天目茶碗がありました。 足利義政所蔵の茶碗が織田信長へ譲られたものです。当時の最高権力者に所有された天下第一の名椀だったので、稲葉天目以上の逸品だったのではないでしょうか。信長はこれを愛用し他の茶道具とともに持ち歩いていました。これは残念ながら、明智光秀が起こした本能寺の変で他の多くの名物と共に焼失してしまったとされています。

しかし、ミステリーファンの視点から言えば2つの可能性が考えられます。明智光秀が天海僧正の正体だとする根強い説があります。天界僧正は徳川家康の側近として、江戸幕府初期の朝廷政策・宗教政策に深く関わった「黒衣の宰相」です。風水の観点から、江戸に霊的な防備を施したのも天海僧正であるとされています。

だとすれば、現在伝わっている稲葉天目が信長蔵のもので、本能寺の変の時に明智光秀が手に入れたものが徳川家に伝わったという説、あるいは稲葉天目以上と言われる信長所蔵のもう一つの椀を天海(光秀)が手に入れて、人知れず日光東照宮に秘蔵されているという説も考えられます。

「原色日本の美術」の解説によれば、戦国時代の日本には10程度の曜変天目茶碗があったそうです。また、現存する3椀のうち2つが徳川家由来です。これは、光秀=天海説を裏付ける傍証になるのではないでしょうか。

曜変天目は本当に美しく、多くの人を引き付けてきました。幸いなことに最も美しい、静嘉堂文庫蔵の稲葉天目は定期的に公開されていますので興味があれば美術館に足を運んでみてはいかがでしょうか。

追記
大藪春彦さんの小説で主人公、伊達邦彦が曜変天目茶碗を手に入れる話、「野獣は甦える」を読んでからこの茶碗がずっと気になっていました。ガン(銃)とカー(自動車)にしか興味がない、大藪さんの分身が欲しがる陶器とは一体何だろう、と思いました。ネット時代になって画像を見たらその美しさに驚き、世界に3点しか現存しておらず、それが全て国宝で、作陶の再現もできていない(当時)ことにも驚きました。

今回、お宝鑑定団ファンとして、価格を入れた記事を書いてみました。余談ですが、今までに鑑定団で出てきた茶道具で一番高価なものは千利休の茶杓で評価額2,500万円でした。

※1996年12月17日の「開運!なんでも鑑定団」で放送された、千利休の茶杓。鑑定士の評価額は2,500万円。当時の公式サイトの文章は次のとおり。『スタジオ騒然。新発見。利休の本物。箱に書いてある弟子の書が決め手。「真と為す(本物)」と書いてある。利休の死から100年位後に発見した弟子が大切に保存しようと箱に入れたモノ。 』 

ソースはここ。(リンク先の画面右下"Impatient?"をクリックしてください。)

なお、現在までの番組史上最高額は2005年9月27日放送の、初期柿右衛門様式のツボで5億円でした。

※評価額5億円の初期柿右衛門様式のツボ。番組公式サイト、高額鑑定品一覧はこちら。

【関連リンク】
曜変天目茶碗 - Wikipedia まずはここから。
静嘉堂文庫美術館 稲葉天目所蔵館。解説はこちら
藤田美術館 もうひとつの所蔵館。解説はこちら
曜変天目茶碗 - 桶谷寧 - 京都の陶器専門店 銀葉 再現茶碗購入問い合わせ先。
帝都モノガタリ 大正の物価 大正時代の物価、参考サイト。
開運!なんでも鑑定団 テレビ東京公式サイト。

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posted by 桜 真太郎 at 16:04 | Comment(0) | TrackBack(0) | 伝説・ミステリー