
これがハウニブの画像です。
ハウニブについては後日、別にまとめる予定ですが、ここでは別系統で開発されたUFOを紹介したいと思います。
それがナチスのベル(鐘)型UFO、NAZI BELLです。ドイツでの開発名はDIE GLOCKE(ディグロッケ)。意味はベル、鐘です。ドイツ語での発音はこちら

このベル型UFOは日本では知名度が低いようです。私もディスカバリーチャンネルの「Nazi UFO Conspiracy ナチスのUFO開発計画」とヒストリーチャンネルの「UFO Hunters -- S03E05 - Nazi UFOs」を見るまであまり意識をしていませんでした。
このUFOの不思議なことは、全く同形のUFOが1965年12月9日、アメリカ、ペンシルバニア州のケックスバーグに墜落をしていることです。これは「ケックスバーグ事件」と呼ばれていますが、1947年の「ロズウエル事件」と比べて日本での知名度は低いと思います。
ナチスのベル型UFO、ケックスバーグ事件、さらにハウニブも、日本語のWikiはありません。
この一つをとっても、日本での認知度の低さがわかります。
ヒストリーチャンネルのダイジェストがわかりやすくまとまっています。
英語ですが映像だけで十分意味が分かると思います。最初に20秒広告が入ります。
http://www.history.com/videos/ufo-files-real-ufos---nazi-ufos#the-nazi-bell
ナチスのベル型UFOが知られるようになったのは、ポーランドのジャーナリスト、イゴール・ウィトコフスキー(Igor Witkowski)が2000年に出版したポーランド語の書籍「prawda o Wunderwaffe
イゴール・ウィトコフスキーはポーランドのワルシャワ出身で1963年生まれ。軍事技術や第二次世界大戦の歴史の分野で活躍するポーランドのジャーナリストです。
イゴールは、彼が最初にDie Glockeの存在を発見したのは、元ナチスSS士官ヤコブ・シュプンベルグ(Jakob Sporrenberg)の尋問記録のコピーを見たことによる、と書いています。 この文書はポーランド政府の公文書にアクセスすることができる、匿名の人物から1997年の夏に情報を提供されたものですが、コピーは許可されず、一部を書き写しただけだとしています。
尋問記録の存在、コピーさえもあることが証明されていないので、これが真実か否かはわかりませんが、イギリス人作家ニック・クックNick Cookが推測をさらに加えた著作「The Hunt for Zero Point」を刊行しナチスのベル型UFOは多くの人が知ることとなりました。マイナーなポーランド語では限定的な影響しかなかったものが英語の著作で多くの人が知ることになったということでしょう。
※残念ながら日本語訳はありませんが、ペーパーバックならamazonですぐに入手可能です
この兵器の開発を指揮したのは親衛隊大将ハンス・カムラーです。1944年に秘密兵器開発の最高責任者となりました。チェコスロバキアのピルゼンで、カムラーはブレーンを集め、新兵器の設計を検討しました。設計図は極秘とされ、全貌を知る者はわずかでした。
連合軍によるドイツ本土の爆撃が激しさを増し、空港を爆撃されたドイツには滑走路を使わない戦闘機が必要でした。ナチスの科学者達は画期的な軍用機を開発していました。例えば円盤形をした乗り物(ハウニブ)や、垂直に離着陸できる飛行機(トリプル・フリューゲルがその一例)などです。中でも重要視されたのは垂直離陸の実現です。
チェコの国境に近いラウス鉱山にあるデアリーゼDer Riese "巨人"と呼ばれる施設で兵器が開発されていたと伝えられます。この場所は現在はポーランド南部です。この施設は当時のドイツの最大のプロジェクト(企業)で「プロジェクト・リーゼ "Project Riese"」と呼ばれていました。7つの主要な施設の複合体は「リーゼ複合体 "Riese Complex"」とも呼ばれています。

※開発中のDIE GLOCKE(ディグロッケ)のスケッチとされる画像。
DIE GLOCKE(ディグロッケ)の外観は直径約2.7m、高さ3.6〜4.5mの陶器で覆われた釣鐘型の金属製の物体です。その内部には1本の軸があり、軸には2つのシリンダーが取り付けられている。高圧電流を流すとシリンダーは逆方向に回転し、電流の渦を発生させることで空気を吸い込み、垂直に浮かぶ装置でした。シリンダー内部には「Xerum 525」という紫がかった水銀のような謎の高度放射性物質が満たされていました。この物質はパラフィンとベリリウム、トリウムの化合物であると推測されています。

※DIE GLOCKE(ディグロッケ)のイメージCG
動作には大量の電力が必要で、使用中に強力な放射線を放ち、他の電磁波、未知のフィールド効果を伴って1分から2分の間、動作しました。最初に動作した時に数名の科学者が死亡。様々な種類の植物や動物を含めたその後のテストでは、動作中のフィールド効果に曝された数分から数時間足らずで、それら全てが通常の腐敗ではない黒いドロドロした物質に分解したそうです。また、近くで放射線を浴びた技術者達は、口に金属の味を感じたと報告しています。
また動作実験が終了した後には、機体および周囲を飽和食塩水で洗い流し除染をしたことが伝えられています。
ポーランド南部の「リーゼ複合体 "Riese Complex"」にDIE GLOCKE(ディグロッケ)が実験されたと考えられている、ストーンヘンジのようなコンクリート造りの建造物があります。ナチスのベル型UFOでは必ず取材される有名な場所です。この建造物は池の中に作られ、池は陶製のタイルで覆われていました。

ただし、ヒストリーチャンネルでは同じポーランドの原発に隣接する給水塔の土台を紹介し、その構造が極めて似ていることを紹介していました。
実験のイメージはこんな感じです。

この機体の開発には秘密結社ヴリル協会が関わっていたとされています。機体にルーン文字のような謎の文字が刻まれているのもその証拠でしょう。
DIE GLOCKE(ディグロッケ)は垂直離着陸機として開発されていましたが、テストの記録を見ていると、時空間に影響を与えること、近くの生物に謎の放射線により影響を与えることが書かれています。本当の目的が何であったのかは不明です。
ヒストリーリーチャンネルの番組「UFO Hunters -- S03E05 - Nazi UFOs」によれば、DIE GLOCKE(ディグロッケ)に核爆弾を搭載し、敵の本拠地を爆撃することが最終目的であったと紹介しています。
敗戦が濃厚になった1945年4月、ヒトラーはDIE GLOCKE(ディグロッケ)の開発者60名の処刑を命令します。地下基地で働いていた収容所の囚人も殺されました。虐殺を指揮したのは秘密兵器の開発責任者だったハンス・カムラーでした。
地下壕の入り口は破壊され、兵器開発に関わっていた収容所の囚人達は中に閉じ込められ、秘密兵器を巡る謎は闇に葬られました。
ヒトラーは兵器の痕跡を消し去るよう命じました。
しかし、それはうまくいきませんでした。1981年ナチスの元軍需大臣アルベルト・シュペーアは「カムラーは米国への情報提供を画策していた。」と証言しています。ホルテン兄弟の全翼機、V.オハインのジェットエンジン、世界初の弾道ミサイルやDIE GLOCKE(ディグロッケ)の開発を指揮したカムラー。彼は1945年4月ピルゼンの基地を出て、永久に姿を消しました。
カムラーは軍事裁判でもゲットーの破壊作戦を指揮したことや、強制収容所の焼却炉開発の件があるにも係わらず訴追を免れています。他の親衛隊幹部は見つかっていなくても裁かれてることを考えると不自然です。
これだけ情況証拠がそろっていれば明らかでしょう。
カムラーが死んだという証言は複数ありますが、ドイツの秘密兵器の資料と引き換えに、身辺の保全を申し出た可能性は否定できません。
アメリカは戦後、秘密作戦ペーパークリップ"Paperclip"により、ナチスの技術者や科学者を大量に自国に移住させました。この時渡米したナチス党員のうちもっとも有名なのはフォン・ブラウンです。大戦中にロンドンを恐怖のどん底に突き落とした、あのV2ロケットの開発者です。戦後はNASAの宇宙開発において大きな役割を果たしました。
ヒストリーリーチャンネルの番組「UFO Hunters -- S03E05 - Nazi UFOs」によれば、アメリカでベル型UFO開発の中心となったのは、クルト・デービス(Kurt H. Debus)ということです。大戦中はV2ロケットの開発に携わり、ペーパークリップ作戦でアメリカに渡った後は、NASAケネディ宇宙センターの初代所長を務めた人物です。
ペーパークリップ作戦の存在はよく知られていますが、渡米した科学者は数100人程度と思われていました。しかし、機密解除された公文書によれば、渡米した科学者は数千人に上ります。
ペーパークリップ作戦の最重要人物は、前述のフォン・ブラウン(Wernher Magnus Maximilian Freiherr von Braun)とハンス・フォン・オハイン(Hans Joachim Pabst von Ohain)、アレキサンダー・マルティン・リピッシュ(Alexander Martin Lippisch)です。
フォン・オハイン(世界初の実用ターボジェットエンジン開発者)はライト・パターソン空軍基地に配属、アレキサンダー・リピッシュ(世界初の実用ロケット戦闘機Me163コメートの開発者)はホワイトサンズ・ミサイル実験場へ、秘密兵器の試作品や関連資料もアメリカに渡りました。

ドイツの新兵器の情報を欲しがっていたのはアメリカだけではありません。ソビエト連邦もドイツの科学技術を狙っていました。ドイツの敗戦と同時に、アメリカとソビエトによる新兵器の資料および科学者、技術者の獲得合戦が始まりました。
戦後、ドイツの技術に大きな影響を受けて開発されたジェット戦闘機、F-86(アメリカ)とMig-15(ソビエト)が5年後の1950年、朝鮮半島の上空で激しい戦いを繰り広げます。F-86はメッサーシュミットMe262およびP.1101、MIG-15は天才クルト・タンク博士の設計したTa-183の影響を受けているといわれています。この戦いは歴史に残る壮絶な空中戦となりました。
1946年までにドイツのナチズムは崩壊し、ドイツ科学者の渡米から1年余りが過ぎるとアメリカ国内において多数のUFOが目撃され始めます。
有名なところでは1947年6月24日の「ケネスアーノルド事件」、1947年6月14日の「ロズウエル事件」、1948年1月8日の「マンテル大尉事件」などが挙げられます。
UFO目撃事件が続くアメリカで1965年12月9日、カナダ、ミシガン、オハイオ、ペンシルベニアで数千人の人々が、夕方の空に未知の火球が飛ぶのを目撃しました。
火球は方向を変えたり、上昇する様子も目撃されていますが、最後は破片を落としながらペンシルベニア州ケックスバーグ郊外の森に墜落します。

目撃者らはその形を“ドングリ型”もしくは“ベル型”と説明しました。長さは3m強、直径は3m弱、継ぎ目のない金属の塊で、金色がかった赤銅色。UFOの下部はバンパーのように盛り上がり色は黄金色、表面にはエジプトの象形文字のような見慣れない記号が書かれていました。
墜落現場に集まった住民達は部品を拾ったり、すぐ近くでその物体を目撃しています。
軍が現場を封鎖すると住民たちはすぐに追い返されました。
フォルクスワーゲンほどの大きさのドングリ型の物体を載せた軍用のトラックが走り去るのを見た人もいます。別の証言で、それは400km離れたライトパターソン空軍基地に運ばれたことがわかっています。
さらにケックスバーグ事件のわずか2日後、空軍は鋳物工場に2重に上薬を塗った特殊な耐火レンガを6500個も発注しました。レンガを運んだ運転手はライトパターソン空軍基地でベル型の物体を見たと後に証言しています。そのレンガは倉庫内で兵士達がベル型の物体を囲うために使われました。
ケックスバーグUFOとナチスのベル型UFOの類似は明らかだと思います。トップに掲載した図を見れば一目瞭然です。ナチスのベル型UFOもケックスバーグUFOも陶器を必要とし、形状が同じベル型で、特徴的な記号が書かれている。
ケックスバーグUFOは当初の公式発表では隕石、後に人工衛星と発表されましたが、地元住民は一部の目撃者を除きおおむねその説明で満足していたそうです。このまま、事件は架空の伝説になる可能性もありました。
しかし、1990年にTV番組「未解決の謎 ケックスバーグUFO "Unsolved Mysteries: Kecksburg UFO"」が放映されて情況が変わりました。地元では放映前から騒動を恐れて(工作員?)放映反対のデモが行われました。
この番組が放映されると地元から重要な新しい目撃証言が出てきました。12月10日にライトパターソン空軍基地へ行く、防水布をかけられた円錐形の物体を積んだトラックの護衛を命じられた空軍将校です。彼は近づきすぎた者は、誰であれ発砲しても良いという命令を受けました。
もう一人はライトパターソン空軍基地に特別なレンガを6500個納品した建築業者です。建築業者は白い放射線防護服を着た作業員が高さ約3.6mの釣鐘型物体を検査しているところを目撃します。
また、最初に現場に到着して、釣鐘型の物体を撮影したが、軍に押収されたという証言も現れます。
この事件は再び世間の注目を集めることになります。
2003年にはTV局サイ・ファイ・チャンネルSci Fi Channelによる現地調査が行われます。
同年にはNASAに情報公開を求め訴訟が起こされ、2005年に督促の申し立てが行われます。
米UFO研究者、NASAに65年のUFO着陸事件解明で資料開示請求=米ペンシルバニア州
【ライブドア・ニュース 12月09日】− AP通信によると、40年前の今日、米ペンシルバニア州西部の森林にUFO(未確認飛行物体)が着陸したと信じる米国のUFO研究者と目撃者らが2年前に米NASA(航空宇宙局)を相手取って起こしたUFO事件記録資料公開請求訴訟で、原告側は9日、弁護士を通じて、NASAに記録開示を急がせる申し立てを裁判所に行った。
情報公開法に基づき、この事件の情報公開を求めているのは、SF番組専門のケーブルテレビ局サイ・ファイ・チャンネルのために同事件の調査を行っているレスリー・キーン氏と同テレビ局関係者のグループ。事件当時の報道によると、目撃者は、1965年12月9日夕、ピッツバーグの南東約30マイル(約48キロ)にあるケックスバーグの村落上空に火の玉が現れ、高さ4-4.5メートル、直径2-4メートルの金属でできた円錐形の物体が、森の中にゆっくりと着陸したと述べている。
NASAはこのUFOが実は旧ソビエト連邦の衛星だったと述べているが、その記録は1990年代に紛失したとしている。こうした言い訳は、典型的な政府の隠ぺい工作に聞こえるものの、NASAの広報官は、隠ぺいは行っていないと主張している。
しかし、キーン氏と同氏の弁護士のリー・ヘルフリッチ氏は、こうした主張を信じてはいない。キーン氏らは、NASAの軌道上物体の専門家が、謎の物体が当時知られていた軌道上の衛星のどれにも当てはまらないことを突き止めたと述べている。また、目撃者らは、事件当時、軍関係者が現場を立ち入り禁止にして物体を運び去り、事件について尋ねた住民らを脅しあげたと語っている。
さらに、キーン氏によると、ウエスト・バージニア大学の学者が最近、UFOの着陸地点について調査を行った。森林学者のレイ・ヒックス教授は木の年輪の調査を行い、1965年に一帯の樹木がダメージを受けていたことを発見した。しかし、樹木は雪による被害を受けており、さらに強風にさらされていたという結果だった。また、地球考古学者のJスティーブン・カイト氏は隕石などの巨大な物体が高速で周辺に落ちた証拠はないと結論付けた。これに対して、キーン氏は、目撃者が「物体はゆっくりと着陸した」と述べていることの証拠になると主張している。【了】
ライブドア・ニュース 山中泉記者/em
(参照:http://blog.livedoor.jp/emasutani/)
この記事に関するお問い合わせ先:newscenter@livedoor.net
http://news.livedoor.com/webapp/journal/cid__1539380/detail
2009年にはヒストリーチャンネルも現地調査を行っていますが、新しい情報は見つかりませんでした。
NASAの対応にも不審な点が多く見られます。
当初「人工衛星コスモス96」の墜落としていたのが、2005年に訴訟を受けると「ロシアの衛星」と変更しています。また2007年に訴訟を受けての情報公開を行いますが、そこでは報告書を2つ紛失したとしています。
NASAも苦しい立場です。
地元ケックスバーグでは街頭に墜落したUFOの模型を展示しています。ロズウエルのように町おこしに使おうとしているのでしょうか。

最後にひとつ追記を。"nazi bell"で画像検索すると、実在の鐘がHITします。
1936年のベルリンオリンピックのために建設されたオリンピック・スタジアムの鐘です。オリンピックスタジアムの高さ77mの塔に設置されていました。戦時中、ソビエト軍の失火により塔は家事となり、1947年にイギリスの手により取り壊されます。鐘は火災で焼けた後、塔を取り壊す際に落下し、ひび割れました。写真右側、黒い影に沿ってひび割れが見て取れます。この詳細は英文wikiに記載されており、大きい鐘の画像もあります。
現在は塔は復元されていますが鐘は割れているため、スタジアムの外に設置されています。

この鐘がDie Glocke(ディグロッケ)とそっくりの外観をしています。鐘の下部に文字が書かれているところも同じです。文字の中にはハーケンクロイツもしっかりと刻まれています。
Die Glocke(ディグロッケ)はドイツ語で「鐘」ですから当然と言えば、当然かもしれませんが、不思議なことです。これは偶然なのか、それとも何か理由があるのでしょうか。
とりあえず、Die Glocke(ディグロッケ)とケックスバーグUFOまとめました。
次はナチスUFOで一番有名なハウニブです。
★2013年12月15日加筆
東日本大震災の直前に福島か茨城で撮影されたとされるUFOのビデオがあります。ここに映っているのはどう見ても、Die Glocke(ディグロッケ)です。アップロードされたのは2011年3月12日。大震災の翌日です。地震との関連、またはFAKE動画なのかは不明ですが、不気味なことです。

※動画のキャプチャ画像。
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【関連リンク】
Die Glocke - Wikipedia まずはここから。ディグロッケの解説。
Kecksburg UFO incident - Wikipedia ケックスバーグUFO事件の解説。
イゴール・ウィトコフスキー公式サイト ディグロッケを世に初めて紹介したイゴール氏のサイト
Secrets of the Nazi-Bell 図版付PDFでの詳細な解説。
UFO Hunters - Nazi UFOs ヒストリーチャンネルのNAZI BELLの特集。44分の全編。
# DIE GLOCKE(ディー・グロッケ) 英文サイトの完訳記事あり。日本語。
Nazi UFO Conspiracy ナチスのUFO開発計画 番組全文書きおこし。スゲッ。日本語
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